山川均の人民戦線[社]1946.1.10
山川均の人民戦線[社]1946.1.10
〈民主革命〉論に基づき民主主義的政治勢力の確立を目的に提唱された.日本の民主化を主目標とする山川の人民戦線は,第2次大戦直後の東欧型人民民主主義革命論とは異質であった.山川の〈人民戦線の形成が1日遅れることは民主主義日本の建国が1日遅れることを意味する〉との訴えは,国民各層の支持をうけ,1946年4月3日,民主人民連盟準備会として結実した.連盟は,幣原内閣打倒人民大会などの準備活動をしたが,’46年5月社会党が救国民主連盟を提唱するや,個人加盟の政治団体に改組してこれに参加,共産党も対抗的に民主戦線促進会を結成し,ここに民主人民戦線は崩壊した.〔参〕川口武彦《山川均の生涯・戦後編》1987.増島宏《日本の統一戦線・上》1978.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。