ポーレー対日賠償方針[経]1945.11.13
ポーレー対日賠償方針[経]1945.11.13
1945年11月来日したポーレーを団長とする対日賠償使節団は,12月7日中間報告を公表し,賠償計画の具体的構想を初めて明らかにした(1946.4.1最終報告).極東委員会の決定もほぼ本報告に沿ってなされた.その内容は次のように日本政府の予想よりもかなり厳しいものであった.(1)日本経済の徹底的非軍事化,(2)日本国民の生活水準はアジア諸国を上回らない程度にとどめる,(3)最小限の民需の充足を上回る余剰能力の存在認定,(4)その余剰能力と在外資産を日本の侵略をうけた諸国へ賠償として引き渡すことによってこれらの諸国の生活水準を向上させる.〔参〕大蔵省財政史室編《昭和財政史》1巻,1984.⇒1948[経]13.20.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。