共産党,人民戦線結成を提唱[政]1945.10.19
共産党,人民戦線結成を提唱[政]1945.10.19
10月10日合法的再建へ第一歩を踏みだした共産党は,10月19日志賀義雄ら3人が社会党結成準備委員会を訪問して人民戦線結成と両党の提携を申し入れ,さらに翌20日重ねて善処を要望した.しかし,社会党は〈結成途上にあり,時期尚早〉と回答,第1次の提唱は結実しなかった.このあとも共産党は12月6日第2次,同26日第3次と人民戦線の結成を提唱したが,社会党は〈我党独自の方針をもって進み,従って共産党との共同戦線をもたざること〉との方針で,いずれに対しても拒否回答を示した.そこで共産党は,1946年1月7日付《赤旗》に〈反動幹部を蹴って我党と共同闘争を〉を発表し,激しく社会党幹部を非難,これ以降,社会党排撃の動きを強めた.〔参〕信夫清三郎《戦後日本政治史.1》1966.⇒1946[社]1.26.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。