大日本産業報国会解散[政]1945.9.30
大日本産業報国会解散[政]1945.9.30
1945年9月28日内務・厚生両省は大日本産業報国会とその府県支部・鉱山部会の解散を通牒し,同30日それぞれの組織は解散した.しかし産報体制の温存をめざしていた政府は,後継組織として財団法人日本勤労厚生会の設立を構想し,工場事業場の単位産報についても改組存続をすすめた.これに対してGHQは同年12月いっさいの戦時労働団体およびその後継団体の廃止を指令し,政府も同8日やむなく単位産報の解散を通達し,ここにようやく戦時労働体制の中核を担った産業報国会が解体された.〔参〕労働省編《労働行政史・戦後の労働行政》1969.⇒1940[労]11.23.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。