三井・三菱美唄鉱中国人労働者決起[労]1945.9.18
三井・三菱美唄鉱中国人労働者決起[労]1945.9.18
太平洋戦争下の炭鉱・鉱山には強制連行された多数の朝鮮人・中国人捕虜が劣悪な生活条件のもとに過酷な労働を課され,日本の敗戦後,白人捕虜は名誉を回復して帰国したのに,そのまま収容されていた.三菱美唄の中国人労働者約800人は,食糧増配・衣料品支給・自由外出などを要求して決起,警官隊の包囲を突破して三井美唄,三菱大夕張の中国人労働者と交流してこれを決起させ,自治体制の承認・1日白米8合・肉魚の支給などを獲得した.この決起と闘争とは各炭鉱・鉱山の中国人・朝鮮人労働者の年来の不満に点火して闘争に立ち上がらせると同時に,10月頃からは日本人労働者の闘争をうながすことになった.〔参〕桑原真人《近代北海道研究序説》1982.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。