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東交・大交解散[労]1940.7.7

東交・大交解散[労]1940.7.7

   産業報国会と労働組合の二本建てを唱え,組織防衛に努めてきた東交・大交の両組合は,時局の圧力に抗しきれず,東交は7月7日,大交は3日後の7月10日,ついに解散するにいたった.権力による弾圧・強制解散を回避しての〈自発的解散〉である.しかしこれで運動が終息したわけではなく,解散後も一部の活動家たちは,事業所内産業報国会の役員として,食堂や浴場の自主運営などの活動をつづけた.〔参〕三輪泰史〈戦時体制下における労働者運動〉(日本史研究211号).⇒1929[労]6.25,1934[労]10.21。




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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