社会大衆党解党[社]1940.7.6
社会大衆党解党[社]1940.7.6
社大党内では前年来東方会との合同・産報問題等で,旧社民系と旧日労系の対立が激化し,1940年2月,斎藤隆夫除名問題をめぐり,ついに分裂した.安部磯雄ら除名反対派は総同盟の支持をえて新党結成に向かった(即日禁止).一方,麻生久らは新党結成機運の高まりのなか,近衛文麿への接近をいっそう強めていった.6月24日近衛が枢密院議長を辞し,新党運動に乗り出すことを声明するや,同日社大党は常任執行委員会を開き,解党を決定した.つづいて28日代議士会との合同会議で解党の方針を確認するとともに,〈新政治体制確立の礎石たらん〉との声明を発表,7月6日他党にさきがけて解党した.〔参〕三宅正一《激動期の日本社会運動史》1973.⇒1932[社]7.24.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。