全総分裂[労]1939.7.18
全総分裂[労]1939.7.18
産報運動の進展とともに全総内では,産報運動への解消を主張する旧全労系と労働組合を基礎に産報運動を主張する旧総同盟系とが対立し,1938年12月大阪聯合会の鈴木悦次郎ら旧全労系が脱退するなど内紛が続いたが,’39年7月24日の中央委で両派の分離を決定した.全労系は脱退して産報倶楽部を結成,残留した総同盟系は11月組合名を総同盟にもどした.〔参〕大河内一男・松尾洋《日本労働組合物語・昭和》1965.⇒1936[労]1.15,1940[労]7.8.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。