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社会大衆党労働国策[社]1939.5.6

社会大衆党労働国策[社]1939.5.6

   麻生・亀井・三輪ら社大党幹部は労働組合の解消と産業報国会一本化を企図して労働国策樹立に向けて動き始め,1939年5月労働国策特別委員会を設置し,検討を始めた.これにたいし松岡ら全総の旧総同盟派は,労働組合と産業報国会の二本建てを主張し,対立の様相を深めた.5月28日委員会決定の〈産報に対する基本原則〉に関し,松岡は社大党と全総の分裂をも辞さずとの強い反対の意思を表明し,紛糾した.府県会選挙を前にしての対立を憂慮した三輪・河野・西尾・上条の4人の協議により,いったんは妥協案が成立した.しかし,結局両者の対立は7月24日全総の分裂をもたらした.〔参〕神田文人〈ファシズム下の社会民主主義〉(歴史学研究会編《戦後日本史V》1962).⇒1939[労]7.18,1940[社]7.6.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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