各事業所に産業報国会[経]1938
各事業所に産業報国会[経]1938
産報聯盟結成につづき,8月24日労資関係調整方策実施に関する内務・厚生両次官通牒が出された.以後,各府県警察当局は事業主との懇談会などを通じた産報会設置の指導に乗り出し,各事業所ごとの単位産業報国会は急テンポで拡大した.1938年末には50人以上の事業場で1158を数える.単位産報は翌’39年4月政府の指導が本格化し,府県及び警察署ごとの地方聯合組織が設置されるとさらに急速に増え,同年8月には7929,会員数169万に達した.そして,’40年11月の大日本産報結成時には5万4429,456万人となり,工鉱業・交通関係のほとんどの労働者を組織した.〔参〕神田文人編《資料日本現代史7・産業報国運動》1981.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。