協調会,時局対策委員会[経]1938.2.2
協調会,時局対策委員会[経]1938.2.2
産業報国運動展開のきっかけを作った委員会.内務官僚出身者中心に31人で構成,その下の第2専門委員会(委員長河原田稼吉)が労資関係調整策の審議に当たった.専門委員には松岡駒吉(全総)ら労働組合代表3人と民間大企業労務担当者11人が委嘱された.審議過程では,労資関係の新たな指導精神確立に重点を置き精神運動としての展開を求める企業側と,各事業場への待遇改善問題を含む労資懇談会設置により労資関係の安定化を図ろうとする官僚・労働側が対立した.結局,両者妥協の上,3月30日の第2回総会で労資関係調整方策が可決され,4月28日政府に建議された。方策には指導精神普及の中央機関の新設と事業場内の意思疎通施設設置が盛りこまれた.さらに5月13日,協調会は産業報国会案と産業報国聯盟案を発表し,産報運動の具体的な提唱を行った.〔参〕芳井幸子〈産業報国運動〉(一橋論叢1975年2月号).⇒1919[政]12.22,1937[経]9.11,1938[労]7.30.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。