日中戦争[政]1937.7.7
日中戦争[政]1937.7.7
満州事変に始まる日本の中国侵略戦争は,北京郊外蘆溝橋の日中両軍衝突,8月の上海での戦闘を経て,日中全面戦争の段階に入った.中国戦線への動員兵力は100万人を超え,国内では国民精神総動員運動開始・国家総動員法制定など全国民と物資を戦争に動員する体制づくりがめざされた.その一方で,人民戦線事件により左翼運動を解体させ,次いで産業報国運動が徐々に労働組合を解散の方向に追いつめていった.中国政府は本格的対日抵抗に踏み切り,国共合作に象徴される全国民的抗戦体制を敷いた.そのため,日本軍の戦線拡大にもかかわらず,占領支配地は〈点と線〉に局限され,中国側の激しい抵抗と日本の軍事動員力が限界に達するなかで戦争は泥沼状態に陥った.戦争に疲れた国民の不満は高まり,外交的にも英米の対中援助方針,ノモンハンでのソ連軍への敗北など内外の危機が深化し,打開の道は最終的に南進強行と3国同盟締結による全世界規模での英米との対立にゆきつく.そして,国内では大政翼賛会を頂点とする全面的なファッショ体制構築に至った.〔参〕藤原彰《日中全面戦争》1982.⇒1931[政]9.18,1941[政]12.8.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。