コミンテルン第7回大会[国]1935.7.25
コミンテルン第7回大会[国]1935.7.25
世界恐慌とファシズム台頭の時期,コミンテルンは〈社会ファシズム〉論・〈社民主要打撃〉論の立場をとり,運動の分裂によってナチスの政権掌握を阻止しえなかった.この経験から第7回大会では,初期の労働者統一戦線より幅広い,中間層を含む反ファシズム統一戦線・人民戦線の新路線を採用し,ブルジョワ民主主義を再評価した.書記長にはディミトロフが選ばれ,各国共産党への個別指導も緩和された.日本からは野坂参三らが出席した.〔参〕E.H.カー《コミンテルンの黄昏》1986.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。