東京市電争議[労]1934.9.3
東京市電争議[労]1934.9.3
1934年9月2日市電当局がいったん従業員全員を解雇し更改給(整理手当を勘案して実質2割減)で再採用するという整理案を発表したため,前年,協約獲得に運動の重点を移した東交も,やむなく9月5日全線ストに突入した.これに対し市電当局が組合首脳・闘争委員99人の懲戒解雇で対抗するという緊迫した状況のもとで,警視総監は9月14日強制調停を発動した.調停委員会は難航の末再採用の方式は取り止め,現給与(賞与・手当を含む)の平均2割減額という調停案を可決したが,これを不満として東交は10月7日再び職場籠城ストに訴えた.しかし,東交も警視総監の白紙委任の強請に応ぜざるを得なくなり,10月13日ほぼ前調停案どおりの条件で争議に終止符を打った.〔参〕梅田欽治〈日本ファシズム形成期における抵抗と統合(1)(2)〉(宇都宮大学教育学部紀要28号,29号,1978,1979).⇒1932[政]10.25.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。