共産党〈多数派〉[社]1934.3.-
共産党〈多数派〉[社]1934.3.-
正式名称は日本共産党中央奪還全国代表者会議準備委員会.宮内勇・山本秋らが党指導部内の混乱(スパイ問題)や指導の逸脱に関する中央委員袴田里見との論争を通じて党内分派として形成した.党関西地方委員会・全農全国会議・日本消費組合聯盟内の党フラクションなどが参加した.7月15日機関紙《多数派》を創刊(~8号)した.通称の〈多数派〉はこの機関紙名に由来する.10月,宮内らが検挙され,中央部が関西に移った後,大阪港南の労働戦線統一運動を指導するが,コミンテルンの指示で’35年9月解散し,党中央再建準備委員会に継承された.〔参〕運動史研究会編《運動史研究・I》1978.⇒1936[政]12.5.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。