全労統一全国会議[労]1933.3.5
全労統一全国会議[労]1933.3.5
全労倶楽部排撃同盟の右派は,1932年7月,日本労働倶楽部の日本労働組合会議への発展的改組を機に全労に復帰したが,関東金属労働組合を中心とする残留派は,加藤勘十・高野実らの指導のもとに全労統一全国会議と改称し,合法左翼組合として反戦・反ファシズムの運動をつづけた.委員長には加藤が就任した.組合員は公称5千人.’33年5月,関東労働組合会議を結成して左翼組合の統一をはかり,’34年夏以来闘争主義による下からの統一を主張し,11月には総評などと合同して日本労働組合全国評議会を結成した.〔参〕須崎慎一〈日本における反ファッショ闘争の一断面〉(歴史学研究415号).⇒1931[労]11.1,1933[労]5.20,1934[労]11.18.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。