日本国家社会党[社]1932.5.29
日本国家社会党[社]1932.5.29
満州事変後生まれた社民党赤松派・全労国社派・下中弥三郎派の国家社会主義3派は,当初単一国社政党樹立をめざしたが成功せず,前2派が同党に,下中派は新日本国民同盟を結成した.国社党の組織基盤は日本労働同盟・日本中小商工聯盟・日農山梨県聯などで,1932年末には100余支部1万7822人を数えた.しかし,’33年には党務長赤松克麿の離党などで早くも分裂し,’34年2月,日本主義の愛国政治聯盟に改組した〔参〕田中真人〈「満州事変」と国家社会主義〉(渡部・飛鳥井編《日本社会主義運動史論》1973).
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。