全国労農大衆党[社]1931.7.5
全国労農大衆党[社]1931.7.5
全国大衆党は1930年12月の第2回大会で社会民衆党・新労農党への合同決議を採択した.これを機に再び合同運動が起こり,新労農党は参加,社民党は拒絶したが同党内に生まれた合同実現同盟が参加し,全大党を中心として全国労農大衆党が結成された.書記長麻生久(委員長は欠員),党員5万7千人.政策に帝国主義侵略戦争反対をかかげ,満州事変を厳しく批判して対支出兵反対闘争委員会を設置した.しかし,松谷与二郎らが満蒙出兵に賛成するなど動揺は免れなかった.社会民衆党から赤松克麿らの国家社会主義派が脱党したあと,’32年7月24日残留派と全国労大党が合同して社会大衆党を結成した.〔参〕増島・高橋・大野《無産政党の研究》1969.⇒1931[社]11.22,1932[社]7.24.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。