日本労働倶楽部[労]1931.6.25
日本労働倶楽部[労]1931.6.25
日本海員組合の斡旋により,中間派が右派の三反主義に歩調をあわせて両派の戦線統一が実現し,倶楽部が結成された.海員組合・総同盟・全労・総聯合など9組合・27万人(結成時)を擁する一大組織であったが,ゆるやかな懇談会形式のものにすぎず,翌1932年8月には組織化のために日本労働組合会議準備会へ切り替えられた.〔参〕山田武生〈大恐慌期の労働組合運動〉(歴史評論380号,1981).⇒1928[労]12.5,1931[労]11.1,1932[労]4.5.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。