ベルリン〈血のメーデー〉事件[国]1929.5.1
ベルリン〈血のメーデー〉事件[国]1929.5.1
1929年のメーデーを前にSPD所属のプロイセン内相とベルリン警視総監はデモ行進と野外集会を禁止したが,KPDの指令でベルリンでは20万人がデモに参加,労働者街でバリケードを築いた.警官隊との間で激しい市街戦となり,発砲で31人が死亡した.この事件を契機に,社会民主主義を対象とする〈社会ファシズム〉論が全面的に展開されるようになった.〔参〕富永幸生ほか《ファシズムとコミンテルン》1978.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。