解放運動犠牲者救援会[社]1928.4.7
解放運動犠牲者救援会[社]1928.4.7
1927年暮から太田慶太郎・馬島らが準備,’28年3月6日,超党派の発起人会を組織し,4月7日芝協調会館で創立大会を開いた.創立のきっかけは野田醤油争議の救援であるが,3・15事件犠牲者救援にも活躍した.創立後しだいに社会民主主義者が離脱し,’30年8月の第2回大会で国際赤色救援会(モップル)に加盟し,日本赤色救援会と改称した.’33年10月頃,救援会中央部は弾圧により壊滅,以後渡辺政之輔の母テフの手で事務所が守られたが,’37年5月閉鎖した.〔参〕田中真人《1930年代日本共産党史論》1994.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。