独,職業紹介・失業保険法[国]1927.7.7
独,職業紹介・失業保険法[国]1927.7.7
相対的安定期の産業合理化は構造的失業を生み出し,第1次大戦後に導入された公的失業扶助制度は財政を圧迫するようになった.そこで労使の拠出による保険原理に立脚する同法が制定されたが,世界恐慌の到来と失業者の急増によってすぐに財源難に陥り,その改訂をめぐる労使代表間の対立のためにH.ミュラー大連合内閣は倒れた.〔参〕戸原四郎〈ヴァイマール体制と失業問題〉(《基本的人権・3》1968).
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。