労農党左翼3団体排斥[社]1926.7.27
労農党左翼3団体排斥[社]1926.7.27
1926年4月の労農党第1回中央執行委員会は,総同盟が強く求めた評議会・政研(5月16日大衆教育同盟に改組)・無産青年同盟・水平社無産者同盟の左翼4団体排除を決めた.7月18日の第2回中執では,日農・総聯合など原則的門戸開放論が総同盟・官業総同盟・市電自治会などの排除論を抑えた.これに対し総同盟は,第3回中執で方針の再検討を要求して攻勢に出,日農は譲歩して再び3団体排除(水平社無産者同盟は保留)が決まった.創立までの〈遠慮〉の態度から転じた左翼の門戸開放要求は一挙に高まり,第4回中執を前に日農が門戸開放を決断するや,総同盟など5団体は労農党を脱退した.〔参〕法政大学大原社研編《無産政党資料・労働農民党1》1978.⇒1926[社]3.5.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。