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住友別子銅山争議[労]1925.12.4

住友別子銅山争議[労]1925.12.4

   1924年10月,別子銅山で日本労働総同盟別子労働組合が結成された.組合は労働条件の改善は親友会内の評議会(労資懇談会)を通じてではなく,組合との交渉により獲得すべきであると主張した.これに対し会社側は部落ごとに修養団の色彩の濃い改善会を設置した.’25年12月,組合は,特価品の復活,死傷者への手当改善,労働組合への不干渉等を内容とする嘆願書を提出し,全山の同盟罷業宣言を行った.総同盟は本部を一時大阪に移し,鈴木会長自ら争議を指導したが,労働者側に不利な労働市場下での組合員の徹底した解雇,さらには改善会の活動などによって争議は労働者側の全面敗北となり,以降,別子銅山でも労働組合不在の体制が確立した.〔参〕大野盛直《別子労働争議の研究》1954.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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