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日本共産党解党[社]1924.2.-

日本共産党解党[社]1924.2.-

   第1次共産党事件以後,亀戸事件・大杉栄事件のように権力の弾圧が強まるなかで,日本共産党の指導部内に合法大衆政党をめざして党の解党を主張する人々が現われた.また当時の党の欠陥や弱点を理由に,解党してあらためて強固な基礎の上に再建すべきだと考える人々もあり解党論が支配的となった.1924年2月か3月頃,留守中央委員会は正式な党の手続きをへずに解党を決定し,将来の党再建のためビューロー(佐野文夫・徳田球一・青野季吉・野坂参三・荒畑寒村)をのこした.なお,同党の機関誌《階級戦》の後継誌として’24年5月《マルクス主義》が創刊され,同誌を舞台に福本イズムで知られる福本和夫が登場,共産主義運動に大きな影響を与えた.〔参〕犬丸義一《第一次共産党の研究》1993.⇒1923[政]6.5,1925[社]1.-,1926[社]12.4.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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