倉敷労働科学研究所[文]1921.7.1
倉敷労働科学研究所[文]1921.7.1
大原孫三郎によって倉敷紡績の万寿工場内に設立された.工場疲労の研究を初め,日本では未開拓であった労働衛生・労働生理・産業心理学といった労働科学研究に優れた業績をあげた.中心となったのは,大原社会問題研究所の社会衛生部門を担当していた医学士暉峻義等で,石川知福・桐原葆見らがかれを助けた.1924年6月に機関誌《労働科学研究》を創刊.’36年11月12日,倉敷労研は解散し,研究設備等はすべて日本学術振興会に寄付され,これをもとに東京青山に日本労働科学研究所が設立された.’41年10月,研究所は大日本産業報国会の傘下に入った.敗戦後産報解散とともに労研も解散したが,すぐ財団法人労働科学研究所として再建された.〔参〕《労働科学研究所60年史話》1981.⇒1919[文]2.9.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。