工場委員会[経]1920
工場委員会[経]1920
反動恐慌によって経済状態が厳しくなると,労働組合運動の指導者たちの間には団体交渉制を確立して既得権を守ろうとする考えが広がった.これに対し経営側は,組合とくに企業の枠を超えた横断的な労働組合には断じて交渉権を認めず,多くの大企業では労資の意思疎通機関としての工場委員会制を導入した.あくまで懇談の機関にほかならなかったが,労働組合の影響力を後退させる役割を果たした.〔参〕西成田豊《近代日本労資関係史の研究》1988.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。