全日本鉱夫総聯合会[労]1920.10.20
全日本鉱夫総聯合会[労]1920.10.20
いずれも1919年9月に結成された大日本鉱山労働同盟会と全国坑夫組合,友愛会鉱山部の3組合の合同で成立.合同を可能にしたのは,(1)3組合とも戦後不況で守勢に立たされ,(2)坑夫組合と友愛会の指導者はともに東大の新人会員で旧知の間柄であり,(3)合同反対の同盟会指導者は会社から買収されていたことが判明し失脚していたことなど.麻生久・加藤勘十ら知識人が指導し,足尾銅山を最大の基盤に主に関東以北の鉱山・炭坑を組織した.夕張・足尾・尾小屋・別子などで激しい争議を展開した.機関誌《鉱山労働者》.’25年10月,日本鉱夫組合と改称.麻生との関係から総同盟分裂では中間派の拠点組合となり,多くの活動家を生んだ.〔参〕河上丈太郎編《麻生久伝》1958.⇒1921[労]4.2.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。