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ハプスブルク帝国崩壊[国]1918.10.30

ハプスブルク帝国崩壊[国]1918.10.30

   1867年のアウスグライヒ(和協)で成立した二重帝国は,国内に多くの少数民族をかかえ,第1次大戦前からすでに諸民族間の対立と紛争で動揺していた.大戦下の帝国の危機,とくにロシア革命とウィルソン米大統領の〈14ヵ条〉は諸民族の分離・独立運動を活発にした.敗戦の迫った1918年10月16日,諸民族に自治を与え,帝国を連邦制に改組するという皇帝の宣言が発表された.しかし,10月末から11月にかけて,チェコ人が独立を宣言しスロヴァキア人がこれに合流,スロヴェニア人・クロアティア人・セルビア人は共同で独立国家を設立することを決議した.支配民族の側でもハンガリーは帝国からの分離を宣言し,オーストリアはドイツとの合邦をめざし民主共和国になった.こうして帝国は崩壊し,新国家の境界画定は戦後の講和条約に委ねられた.〔参〕矢田俊隆編《東欧史(新版)》1977.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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