浦賀船渠争議[労]1918.2.16
浦賀船渠争議[労]1918.2.16
2月,浦賀船渠では,職工5300人が3割増給を要求してストに突入した.この争議では労働者側の組織性・計画性に著しい発展がみられ,これまで〈組〉などの職場秩序にもとづく組織をそのまま利用することなしには争議しえなかったのが,独自の運動組織をつくり闘争態勢を組んだ.しかし,会社は休業措置をとり,職工側委員は組長層との交渉によりその調停を受け入れ,無条件出勤となった.〔参〕安田浩《大正デモクラシー史論》1994.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。