西園寺内閣総辞職[政]1912.12.5
西園寺内閣総辞職[政]1912.12.5
日露戦争後の慢性的な財政悪化に対して第2次西園寺内閣は財政整理の方針をうちだしていたが,陸軍はこれと真っ向から対立する2個師団増設要求を内閣につきつけた.西園寺がこれを拒否すると,上原勇作陸軍大臣は単独辞任し,陸軍が軍部大臣現役武官制をたてにとり後継陸相を出さなかったため,1912年12月第2次西園寺内閣は総辞職した.〔参〕山本四郎《大正政変の基礎的研究》1970.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。