浦賀船渠争議[労]1910.7.17
浦賀船渠争議[労]1910.7.17
日露戦争後の不況下で2年間賃上げが実施されなかった浦賀船渠株式会社では1910年7月13日,労働者が会社側へ2割または3割の増給要求を提出した.しかし,会社側が拒否したため,全職工1500人がストライキに入った.争議の推進力は職工総代となった強硬派労働者であるが,中心は組長クラスの職工で役付工も大きな位置を占めていた.結局争議は5歩の増給で妥結した.〔参〕《神奈川県労働運動史・戦前編》1966.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。