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別子煙害事件[社]1908.8.27

別子煙害事件[社]1908.8.27

   1893年,住友は別子山中から新居浜浦に製錬所を移転新設した.これと同時に激甚な煙害が発生したが,煙害反対運動は兇徒聚衆罪で弾圧された.住友は煙害を否認したまま煙害問題の消滅を目論み1904年製錬所を四阪島に移転した.しかし結果は20㎞も離れた対岸の東予4郡にまで被害が拡大し,反対運動もまた激化した.’08年ついに住友も煙害を認め,’10年11月,大浦農相の調停で農民との間に煙害対策と損害賠償を内容とする契約を結んだ.〔参〕菅井益郎〈別子銅山煙害事件〉(社会科学研究29巻3号).




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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