谷中村強制破壊[社]1907.6.29
谷中村強制破壊[社]1907.6.29
栃木県会は,洪水のたびに鉱毒水に侵されていた谷中村の買収を1904年12月の秘密会で決定,被害農民の分断と反対運動の鎮静化をはかった.多くの農民が集団移住するなかで,残留民16戸はあくまで抵抗したが,’07年6月29日土地収用法にもとづき強制執行が行われた.破壊後も残留民は仮小屋に住み,7月補償金の不当廉価不服訴訟で抵抗したが,’10年渡良瀬川の大改修工事着工,’13年田中正造の死を経て’17年には立退きを余儀なくされた.〔参〕荒畑寒村《谷中村滅亡史》1907(《荒畑寒村著作集1》所収,1976),大鹿卓《谷中村事件》1972.⇒1897[社]3.2,1901[社]12.10.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。