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別子銅山暴動[労]1907.6.4

別子銅山暴動[労]1907.6.4

   1907年5月30日負夫(運搬夫)の代表が賃上げの請願を行い,これに刺激された坑夫も6月1日飯場頭を通じ賃上げを要望した.しかし,鉱業所はこれを認めず代表者を解雇した.これに怒った鉱夫等400人が,4日,一斉辞職を企て事務所に押しかけ,役員と衝突した.坑夫らは石やダイナマイトを投じ,事務所や社宅を破壊したが,7日,軍隊が演習を名目に出動し,鎮圧した.暴動の原因は,物価謄貴にもかかわらず賃金が引き下げられたこと,前年の飯場制度改革によって米の供給に制限が加えられるなど規則ずくめとなったこと,従来のように請負人から借金ができなくなったことなどであった.〔参〕《資料愛媛労働運動史・1》1958.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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