足尾暴動[労]1907.2.4
足尾暴動[労]1907.2.4
暴動は通洞坑の坑夫と現場係の衝突に始まり,小滝坑を除く全山に波及した.鉱業所長を始め職員の多くが袋叩きにされ,事務所・社宅等が打ちこわされ,倉庫に火が放たれ,65棟が破壊焼失した.栃木県下の警察を総動員しても抑えきれないため,高崎聯隊から3個中隊が出動し,2月7日,600人を検挙,鎮圧した.軍隊動員の背後には,前古河鉱業副社長で内相の原敬がいた.暴動の原因は,会社側が賃金ストップ政策をとっていたため,インフレにより実質賃金が低下したことがあった.さらに,現場係が賄賂によって賃金の査定に不公平な扱いをしたことも見逃せない.直接のきっかけは賃上げ運動で勢力を増していた南助松・永岡鶴蔵らの至誠会足尾支部をつぶすために飯場頭が仕組んだ挑発の疑いが濃い.暴動の影響は大きく,このあと幌内・別子で暴動が起きたほか,多くの鉱山・炭鉱で争議が発生した.〔参〕二村一夫《足尾暴動の史的分析》1988.⇒1906[労]12.5.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。