独,〈ホッテントット選挙〉[国]1907.1.25
独,〈ホッテントット選挙〉[国]1907.1.25
1906年12月13日,独領西南アフリカにおけるヘレロ族とナマ族の蜂起を鎮圧するための追加予算案が帝国議会で否決されると,宰相ビューローは議会を解散,帝国主義キャンペーンをはって選挙に訴えた.選挙の結果,ビューロー・ブロックの自由・保守諸党が勝利し,反帝国主義政策を訴えたSPDは惨敗,〈現実的政策〉を唱える党内改良派の影響力が強まった.〔参〕安世舟《ドイツ社会民主党史序説》1973.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。