独,SPD大衆スト論争[国]1905.9.17
独,SPD大衆スト論争[国]1905.9.17
1902-03年のベルギーやオランダのゼネスト,ロシア1905年革命を契機に起こった論争.政治的大衆ストを闘争の武器と主張するローザ・ルクセンブルクら左派の提起を受けて,’05年9月のイェーナ党大会は大衆ストを政治的防衛闘争の手段とするべーベル決議案を採択した.しかし’06年9月のマンハイム党大会では同決議が確認されたものの,統一行動のためには党と労組の協調が必要とする〈マンハイム協定〉が成立し,大衆ストを否定する労組の立場が勝利を占めてイェーナ決議は骨ぬきにされた.〔参〕安世舟《ドイツ社会民主党史序説》1973.⇒1907[国]1.25.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。