ロシア社会民主労働党分裂[国]1903.7.30
ロシア社会民主労働党分裂[国]1903.7.30
1903年にブリュッセルとロンドンで開かれた第2回党大会で,党組織のあり方と,革命の戦術をめぐって,マルトフとレーニンが対立した.党中央委員会を掌握したレーニン派が多数派を意味するボリシェヴィキ,マルトフらが少数派を意味するメンシェヴィキと呼ばれることとなり,’05年の第3回党大会は両派が別個に大会を開催する分裂大会となった.〔参〕加藤一郎《ロシア社会民主労働党史》1979.⇒1912[国]1.18.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。