救世軍廃娼運動[社]1900.8.5
救世軍廃娼運動[社]1900.8.5
1900年に娼妓の自由廃業を認める判決が出されると,救世軍は具体的行動に乗り出し,8月1日号の《ときのこゑ》を〈醜業婦救済号〉として発行する一方,遊廓にのりこみ娼妓に自由廃業をすすめた.新吉原で隊員が暴力団に襲われ大けがをする事件がおこり,新聞が大きく報道したこともあって,救世軍の廃娼運動は大きな反響をよんだ.’02年から2年間に娼妓は全国で約1万2千人減少した.〔参〕村上信彦《明治女性史・下》1972.⇒1895[社]9.22.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。