大日本労働協会[社]1899.9.-
大日本労働協会[社]1899.9.-
大井憲太郎は1892年東洋自由党結成の際,党内に日本労働協会を設け労働問題研究に先鞭をつけたが,政界引退後本会を設立して会長となった.機関紙《大阪週報》を発行,労働組合組織化の奨励,労働者・免囚の保護と授産,夜学校・寄宿舎・無料入浴場設置などの活動を試みた.別に小作条例期成同盟会も作り西日本を中心に小作米軽減運動・法廷闘争の支援活動などを行った.〔参〕平野義太郎《大井憲太郎伝(復刻版)》1968.⇒1892[政]11.6.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。