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足尾鉱毒事件[社]1897.3.2

足尾鉱毒事件[社]1897.3.2

   1885年頃から渡良瀬川の魚類が大量死し鉱毒の被害が顕在化していたが,’90年の洪水の後には農作物に被害が拡大したため,鉱毒反対運動が起こった.’91年の帝国議会では田中正造が鉱毒について質問したが,その後,政府・古河資本は示談工作で対応し,反対運動は一時鎮静化した.しかし,’96年の大洪水では鉱毒被害が激増し,田中正造は鉱毒反対運動を対政府鉱業停止運動として再組織した.’97年2月には被害民が2回にわたって首都に押し出し,大きな社会問題となった.政府は第1次鉱毒調査会を発足させて古河に鉱毒予防工事命令を下す一方,被害民には地租の減免を行った.だが被害はおさまらず,農民は’98年と1900年にも押し出しを行い,とくに1900年2月13日の押し出しは官憲の大弾圧にあった(川俣事件).〔参〕東海林吉郎・菅井益郎《通史足尾鉱毒事件〉1984.鹿野政直編《足尾鉱毒事件研究》1974.⇒1901[社]12.10,1907[社]6.29.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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