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工手学校[文]1888.2.6

工手学校[文]1888.2.6

   工業化の初期において,熟練労働者の不足とともに大きかったのは下級技術者の不足であった.この問題を解決するため,東京帝国大学総長渡辺洪基が呼びかけ,工科大学出の技師や岩崎弥之助・古河市兵衛・大倉喜八郎らの資本家の援助で,技師と現場の労働者の間に立つ工手を養成するための施設として設立された.土木・機械・電工・造家(建築)・造船・採鉱・冶金・製造舎密(応用化学)の8学科を置き,修業年限は予科1年,本科1年であった.1889年7月121人を最初に,1908年2月の第37回までに5千人をこえる卒業生を出した.〔参〕《工学院大学学園75年史》1964.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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