同愛社[文]1879.3.3
同愛社[文]1879.3.3
東京府下で民間初の貧民救療施設.発起人で初代社長の高松凌雲は,戊辰の箱館戦争で戦傷病者の救療に当たった.当初,賛同する医師14人を社員として結成.毎月10日に会合をもち運営等を協議し,上野桜木町の鶯渓病院を本社に,社員の自宅を分社として施療した.施療券は郡役所や地主・差配人を通じて配布した.財政難のため独自の病院建設は実現しなかった.1911年済生会の設立後解散説もでたが,何とか存続した.薬代は社員の出金・寄附・補助金でまかなわれた.〔参〕同愛社編《日本救療事業史料同愛社50年史》1928.⇒1911[文]2.11.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。