内国勧業博覧会[経]1877.8.21
内国勧業博覧会[経]1877.8.21
大久保利通は岩倉具視らと欧米の政治・経済・文化についての視察の際,日本から24人の技術伝習職人が派遣されていたウィーン博覧会(1873年)に立ち寄った.当時の日本の産業の発展や貿易振興には,内国博覧会の開催が必須なことを認識した大久保は,自ら建議を行い,また総裁となって博覧会開催を推進した.第1回内国博覧会は’77年8月21日~11月30日の102日間上野公園で開かれ,出品者1万6172人,来観人は総計45万4668人に達した.勧業博覧会は1903年まで5回開かれて終わったが,以後,府県レベルの政策として引き継がれた.〔参〕石塚裕道《日本資本主義成立史研究》1973.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。