太陽暦採用[政]1872.12.9
太陽暦採用[政]1872.12.9
太陰暦を廃し,旧暦の明治5年12月3日を明治6年1月1日とした.切り替えの準備期間が1ヵ月足らずだったこと,当時の陰暦12月はなお農繁期で正月を祝える状態でなかったこと,先祖の祭祀の日取りを変更する必要がでたことなどから,民衆の生活に大きな混乱を引き起こし,以後も,国家の暦としての新暦と,民衆の暦としての旧暦が併存した.また,尊皇論者は西暦の採用を西洋文明への屈服とみなして非難した.〔参〕飛鳥井雅道《文明開化》1985.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。