高崎藩農民蜂起[社]1869.11.18
高崎藩農民蜂起[社]1869.11.18
高崎藩は8公2民といわれるほどの高率年貢だったため,農民は隣接の岩鼻県並みへの減額を要求し,旧暦8月3日の領内村々総代の協議を皮切りに,まず岩鼻県など隣藩県に高崎藩領内の実情を訴える嘆願を行い,この漸進的方針が失敗に帰したのち,旧暦9月2日強訴方針を決定した.以後1ヵ月余の間に硬軟両派の意見の対立を調整し,旧暦10月15日には高崎城へ4300人が強訴した.財政困窮の高崎藩は不作を理由に当年限りの減免を認めるにとどまったため,農民はさらに太政官・民部省等に嘆願,翌年も3割減免を認めさせたが,死刑3人を含め21人が処罰された.〔参〕田村栄太郎《近代日本農民運動史論》1948.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。