生野の変と朝来打ちこわし[社]1863.11.22
生野の変と朝来打ちこわし[社]1863.11.22
文久3年秋,但馬では治安維持と海岸防備を目的とした農兵取立計画が進んでいた.大和天誅組支援のため但馬に潜入した尊攘派平野国臣らは,この農兵組織の主だった豪農らを味方につけ,10月31日の農兵取立会議で挙兵決起の方針を秘かに決定させ,11月22日,代官の留守をついて代官所を占拠した.彼らは挙兵の檄をとばして農兵を募り,その数は翌日正午までに2千人にふくれあがったが,出石・姫路など周辺諸藩が出兵すると孤立した.23日夜には志士らは各地へ脱出,残った強硬派も離反した農民に襲撃され壊滅した.一方,農兵は破陣とともに引き揚げたが,翌24日夜になると大群衆が出て,朝来郡山東町付近の豪農・村役人宅十数軒に打ちこわしをかけた.恐ろしい軍陣に立たされ生命を脅かされたことへの農民の憤りが,農兵取立会議に参加した豪農層に向けられたのである.〔参〕《兵庫県史》5巻.1980.
大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。