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桐生35ヵ村,生糸輸出禁止駕籠訴[社]1859.12.2

桐生35ヵ村,生糸輸出禁止駕籠訴[社]1859.12.2

   開港で生糸の大量流出がはじまると,生糸はすぐに品不足・高値となり,在来の絹織物業に大打撃を与えた.とりわけ西陣と並ぶ絹織物産地であった桐生地方は深刻な影響をうけ,1859年から’60年にかけて35ヵ村が挙げて生糸輸出禁止を求め,数度にわたり幕府に訴えた.製糸と織物の地域的分業がほぼ完了していた同地方では,機屋に生糸を供給していた生糸商人=上層部が生糸輸出で巨利を得たのに対して,機屋下職=下層部は著しく困窮し,火札・張札などの闘争を強め打ちこわしの危機が高まっていた.〔参〕《桐生市史・中》1959.




大原クロニカは、法政大学大原社会問題研究所編『新版社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)に基づいたウェブ歴史事典です。日本の社会運動・労働運動を中心に解説しています。

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