「戦後民主主義」の理想と現実
「みんなサラリーマン」の実態―あるいは「普通」であることの困難―
【タイトル】合理化反対!
【Title】We are against rationalization! Shunto (Spring Offensive) Joint Struggle Committee
【人名・団体名】春斗共斗委員会
【Organizations/Names】Shunto (Spring Offensive) Joint Struggle Committee
【作成日】19–
【資料の大きさ】37cmx52cm
【請求記号】PB0435
うなだれて通勤するサラリーマン、そして機械とその操作に携わる男性のイラストが描かれたこのポスターの背景にあるものは、戦後⺠主主義が労使関係にもたらした明暗だ。平等処遇が実現されたことで、労使関係における階層的な格差は縮⼩した。それは「サラリーマン」という「普通」を体現する⽣き⽅が共有される社会の到来でもあった。「もはや戦後ではない」(『経済⽩書』1956 年)という表現は、戦後復興の象徴としてしばしば参照される。そこで告げられた真意は「近代化」の実践による、さらなる経済成⻑の必要性だった。このポスターにある「合理化」は「近代化」と同義だ。技術⾰新によるオートメーションをはじめ、1960年代は「労働」の実感が⾝体感覚から遠くなる時代の始まりでもあった。1950 年代に活況を⾒た労働運動は、⾝分制撤廃が可能とした労働者の連帯意識から⽣まれた。「近代化」を指標とする⽣産性向上の掛け声が社会を覆うようになった⾼度成⻑期、実体としての「労働者」は姿を消し、黙々と職場へと向かう「サラリーマン」が登場しはじめる。ホワイトカラーとブルーカラーが同じ問題を共有するこの⼀枚は、戦後⽇本社会が実現した待遇改善の側⾯を告げるものであると同時に、誰しもが「普通」を追求しなければならない閉塞感を描いたものと⾔えるだろう。
(解説:鈴⽊貴宇)
更新日:2025年06月03日